私、普段から断捨離していますので

今日の日経新聞の朝刊に、皆さんに是非読んで頂きたい記事が載っていましたので(こっそりと!)引用しました。こんな良い記事ばかり載っていますので、是非日経新聞を取りましょうね(と、書いておこう)。下にはテキストをコピペしあります。シニアの方は新聞面ではなく下のテキストで読んでね。

現代人は「引き算」が苦手 労働や環境問題、解けぬ一因(日本経済新聞 5/9 朝刊より抜粋)

働きすぎや非効率な仕事、環境破壊といえば、いずれも現代社会が直面する深刻な問題だ。新たな選択ができるはずの人間がなぜ、これほどまでに解決にてこずるのか。その原因を「人間は引き算の決断が苦手で、足し算にこだわるから」とする説を米バージニア大学のチームが英科学誌ネイチャーに発表した。整理整頓の難しさが思い浮かんだ人も多いだろうが、「引く」という選択肢を見落とす「思考の欠陥」が人々を翻弄している。

いま、ベッドの4本ある脚のうち、3本が外れてしまった。ベッドが傾き、寝心地が悪い。さて、どうするか。3本の脚を付け直そうと思ったあなたは、何かを見落としている。「残った1本の脚も外す」という選択肢だ。

寝心地の改善なら、残る1本を取り除けばベッドは平らになる。人間は「足し算」を意識し「引き算」を軽視する傾向がある。バージニア大学のチームは様々な実験からこう指摘する。

板を支える脚が一本なのでぐらつく問題(写真上)の解決には脚を外して土台にじかに取り付ける方法もあるが、多くの人は脚を追加して(同下)板を取り付けようとした=バージニア大の研究を紹介するユーチューブから

197人に同様の実験をした。土台から伸びる一本の脚が板を支える模型がある。板のぐらつきを抑えると1ドルの報酬をもらえる。

「脚を1本足すと10セントかかる」とだけ説明した。脚の撤去にコストはかからないが、41%の人しか思いつかなかった。「脚の追加は10セント、脚の撤去は無料」と伝えると、61%がもとの一本の脚を外すだけで板を固定できると察した。

研究チームが気にかけるのは、コストをかけずに解決できる方法があるにもかかわらず、それが「引き算」だと見落としてしまいがちな点だ。選択肢が狭まれば、過重労働や地球環境の問題は解決できないと研究チームは憂う。

研究のきっかけはメンバーの1人と2歳の息子のブロック遊びだった。ブロックでできた橋に柱が2本あり、短い方の柱にブロックを無意識に付け足そうとしていた。人間は「引く」より「追加」で物事を解決する傾向があるとメンバーは気づいた。人間は時に非合理的な行動をとる。バイアスがかかるためだともいわれる。今回の実験結果も人間味にあふれるが、社会問題を克服できない一因だとすれば放置できない。

引き算の発想があっても、引く決断は葛藤を生む。米チームの研究とは別だが、周りからみたら価値がないとも思えるモノをため込み、処分できない行為を「ホーディング」と呼び、精神医学や臨床心理学の研究対象になっている。ふつうの人にも表れる。

専門家の1人である関西大学の池内裕美教授によると、対処方法は「獲得の抑制」と「モノの処分」に大別できる。「後者がはるかに難しい」(池内教授)。一因として「獲得場面(足し算)では対象がある程度特定されるが、処分場面(引き算)ではその対象が定まっていない場合が多い」からだという。「何を処分するかの判断には、相当な認知資源(エネルギー)が必要になることなどが考えられる」(池内教授)

引き算は過去の労力が無駄になる負い目もある。引き算の決断にどれだけの価値があるのか。米チームはペダルがなく足で地面を蹴って進む子供向け二輪車を例に出す。「ペダルを外しただけでブレークスルーが起き、新商品ができた」

「勇気をもって引き算を」と企業改革を訴えるのが静岡県立大学の岩崎邦彦教授だ。市場の成熟や多様な需要、国際競争に焦り、新規事業に手を出す誘惑に駆られる企業は多い。そんなときに「引き算が革新につながる」。携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」やスマホ「iPhone」が好例という。前者は録音機能にこだわらず、後者はダイヤルボタンを無くした。

岩崎教授は中小小売業748社を調べた。新型コロナウイルス感染拡大下の影響を2020年10月に探ると、規模の拡大よりも質の拡充を志向する「引き算」企業は影響が小さかった。

人間が引き算に気づきにくいとしたら、対策は自覚しかないだろう。「政府や議会が部門を削らず追加ばかりしたらコストが膨らむ」(米チーム)。

注意すべきは大切なものを引き去らないことだ。重要な何かを見極められたら引き算もしやすいが、それができないから苦労する。 (藤井寛子、サイエンスエディター 加藤宏志

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どうでしたか?
ちなみに上の質問、私の答えは引き算の発想ばかりでした。
私は普段から「捨てられないか?不要じゃないか?やめられないか?」ばかり考えていますので、当然といえば当然ですね。