episode2:三田に診療所を開設する

「三田のニュータウンで歯科医院を開業するにはどうしたら良い?」

平成7年当時、まだスマホはおろかインターネットすら世の中に存在していませんでした。情報収集は知人や友人への電話や面会だけが頼りでしたし、SNSではなく「縁」や「運命的な出会い」が人生を左右する事が普通の時代でした。

岡山大学の1年後輩の西尾君(現在の神戸市北区歯科医師会長)が藤原台で歯科医院を開設しているという情報を得て、電話してみました。「英保先生、住宅都市整備公団という所に連絡して『三田市のニュータウンの医療ゾーンで歯科医院開設の意思がある。』と聞いてみて下さい。面接があって狭き門ではありますが、まずはそこからスタートです。」と教えてくれました。

当時の三田のニュータウンは物凄い人気で、住宅地の購入も抽選でした。20倍とか30倍とかいった高倍率だった記憶があります。

そのような「殿様商売状態」だった住都公団に電話して何とかアポイントを取り付け、大阪に出かけて行った時の事は昨日のように覚えています。

強烈な上から目線でしたが、それでも「次回はウッデイタウンのけやき台という所の医療ゾーンの募集が行われます。応募して頂いて、三田市歯科医師会の面接で選抜が行われます。合格したら200坪の土地を一括1億円で購入して頂きます。」との事でした。

「土地だけで1億円・・・。それに建物を建てるお金もいる。医療機器を購入するお金も。」
世間一般的には「結婚や家を建てる時や事業を始める時やには親から何がしからの援助」があるのかも知れませんが、小学校卒業と同時に家を出た私は、兄や弟とは異なり家庭内で相当に独立(孤立)した存在になってしまっており、親も自分自身も「援助する・される」という気が全くありませんでした。それでも父親が「借金するなら、保証人にはなってやる。」と言ってくれました。

「死ぬ気でやってみよう。」そう決意した私は三田市歯科医師会の面接を受けるためにアプリケーションフォームを書きました。(国立)岡山大学歯学部大学院卒・歯学博士。運よく父親はその時の兵庫県歯科医師会副会長でもありました。誰にも負けない気がしており、三田市歯科医師会の先生方も肯定的に捉えて私を選んで下さいました。

今から思えば、岡山大学の後輩の西尾君が「住都公団に聞いてみたら?」と言わずに「兵庫県に聞いてみたら?」と言っていたら英保歯科は今頃フラワータウンにあったか知れません。また、後2年早ければ英保歯科はあかしあ台に、2年遅ければ英保歯科はゆりのき台にあったかも知れません。そう思うと運命や縁やタイミングとは恐ろしいものだと思います。

また、三田市歯科医師会の先生方には「和を持って善しとする、普通の歯科医師」であると期待されていたと思うのですが、「自分の価値観を信じて人生を切り開く、普通じゃない歯科医師」が来てしまった事を申し訳なく思っております。(自分では『自分が普通で、世間がいつまでも変わらなさ過ぎる』と思っているのですが、それが「英保がノーマルじゃない」という事なんでしょうね。)

面接に合格したので、次は「取引のある地方銀行に2億のお金を貸してくれるようにアピールする」事と「理想の診療所を自分で設計する」事に着手しました。

お金は事業計画書が評価されて貸して貰える事になりました。また、医院の設計は深夜まで熟慮を繰り返し、設計士の先生に「もう自分の好きなようにしたら?」と言われる程に自分で考え抜いて平面図を書き上げたのです。(私は高校時代、医師や歯科医師より建築の設計士になりたいと思っていたのです。親の期待に沿うべく医療人になりましたが、今でも「ひょっとしたら設計士になっていた方が自分の才能を発揮できたのかも知れないな」と思ったりもします。