episode1:三田市で開業を決意する

英保歯科は7月で開業28年目に入ります。地域の皆様、英保歯科のロイヤルカスタマーの皆様、衛生士の先生方、受付スタッフ、歯科業界の業者さん、私の全ての皆様に感謝・感謝・感謝しかありません。

父親が兵庫県宍粟市(中国自動車道の山崎インターがある所)で歯医者をやっていた関係から、私も歯科医師になりました。

白陵高校を卒業する時に大学を3つ受験しました。共通一次(今のセンター試験)で運よく白陵理系の中で2番の順位を取れた事もあって、進路指導の先生が「阪大でもどこでも通るやろ。受験したら?」と言って下さったのですが、受験勉強のストレスで体調が非常に悪く、国立に行きたいが、浪人は絶対にしたくないという気持ちを教師に告げて、新設の岡山大学を受験させて貰う事にしました。
結果的には、岡山大学歯学部と兵庫医科大学医学部と大阪歯科大学の全てに合格していたのですが、親に経済的負担をかけたくないという思いを胸に秘めつつ「(国立の)岡山大学に行きたい」と告げた時から、今の私の運命に軌道が繋がったのです。

2期生で入学した岡山大学の教室では、いつも最前列の真ん中に座って講義を聞いていました。そして「将来は絶対に母校・岡山大学歯学部の教授になる。」という強い決意をもって岡山大学の大学院に進学させてもらいました。私立の大阪歯科大学に進学した兄と弟に比べて、授業料や生活費が安かったので大学院に行く費用を出してもらう事ができたのです。

大学病院で7年間勤務し、(白い巨塔のイメージのある)医局と呼ばれる組織や、巨大で人の入れ替わりの激しい大学の病院には正の面と負の面がある事を身を持って知りました。元来、シンプルな生き方が好きな私ですから、重厚長大な組織の歯車に収まる事ができるはずもなく、自分の理念を具現化すべく(地元兵庫に帰って)歯科医院を開業するという方向に大きく舵を切ったのです。

白陵のスパルタ教育と6年間丸坊主と寮の軍隊式禁欲生活と柔道部の肥満体からの反動でダイエットしてサーファーになった私。人生で一番楽しかった頃。

宍粟市には鉄道や塾すら無く、「将来は医師か歯科医師になって欲しい」という親の期待に応えるべく、中学生から高砂の白陵の寮に入って(ここには書けないような)苦労を経験した私は「将来の自分の子供のために、せめて鉄道が通っている地域に住んでやりたい。そうすれば18歳位までは親元に置いてやれるから。」と思いながら、平成6年頃、開業場所を探していました。

大学時代にウインドサーフィンに没頭していた私は、神戸付近の海の見える場所に診療所を持ちたいという夢を持っていました。加古川や須磨、神戸西区などのニュータウンを中心にリサーチを進めていたのですが、あるきっかけで三田市の大規模ニュータウンの存在を知り興味を持ちました。ある日、山崎インターから中国縦貫道に乗り、神戸三田インターで降りて目前に広がる風景はそれまで持っていた三田市のイメージとはかけ離れたものでした。

「自然と建築物の調和がとれた、何て美しい街並みだろう。こんな素敵な場所に自分のオフィスを持てたら、そして、ここの住民と共に年齢を重ねる事ができたらどんなに素晴らしいだろう。」

そして、三田のニュータウンでの開業への道の模索が始まったのです。