中庸である事の難しさ

普段はあまり使いませんが「中庸(ちゅうよう)」という言葉があります。正規分布の真ん中あたりいに位置するという意味では「普通」や「平凡」と同義語と思われるかも知れませんが、実は違います。

東洋医学では気・血・水の3つが「中庸」である事が健康にとって大切であると教えます。精神や体に関係する因子を「多すぎず少なすぎず、丁度良い量、状態で長年継続し、ずーっと安定して保っている」のが大切なんですが、これがなかなか難しいんですよね。

人間は見たり聞いたり触れたりしたモノや人や情報によって(一時的に)影響を受け、それによって思考や行動が左右に大きく揺さぶられます。それが正しいか、真実であるか否かに関わらず、です。

そう言う私も、この愚かな人間の一人です。中高では柔道部だった事もあって、子供の頃は太っていましたが気にする事はありませんでした。大学に入ってから体型を気にするようになって以来、ごく最近まで、ダイエットをしてはリバウンドをするという事を、恐らく10回以上繰り返してきたのではと思います。

このような極度に右に行ったり左にいったりして中庸を保っていない事は、東洋医学で教える所の「末永く健康でいるために、あってはならない事」なのですが、ついついやっちゃうんですよね。

後3年程で60歳になります。こんな歳になってやっと、やって来た事の愚かさに気がついて、2020年という美しい年号を境に、今後は中庸でいられるように気を付けようと意を新たにしています。

せめて50歳までに、ある程度悟るべきだったと後悔しています。大人になるのが10年遅かったなあ、と。

皆さんは早めに気がついて下さいね。