夜の海を見に淡路島へ

夏休みももうすぐ終わりですね。小5の末っ子が「夜の海と、対岸の明かりを見たいので今日の土曜日の診療が終わったら淡路島に連れて行って欲しい。」とロマンチックな事を言ってきました。「いいよ。喜んで。」と私。

夕方5時頃にハイウェイオアシスに到着。潮風が爽やかに吹き抜けます。

この後コンビニに寄ってざるそばとオニギリの夕食を済ませて、我が家のお気に入りの小さなビーチに移動します。

小さなローカルビーチからサンセットを楽しむ。
この無名のビーチは観光客がほとんどいない。(でも、だんだん知られてきたようで、年々人が増えています。ちょっとだけ残念。)
日が沈んだ後も、刻一刻と表情を変える海を親子で黙って眺めていました。時が経つのを忘れます。
大きなビーチに場所を変えて。そこから西宮や神戸方面に目をやると、ダイナミックな稲妻がずっと空を照らしていました。20分間位、その空を眺めていた。
帰りにもう一度ハイウェイオアシスに寄って風景を楽しみました。

三田から淡路島までは高速道路で片道たった45分。パンケーキ屋さんなどの華やかなお店とは無縁の「超地味な」我が家のプチ旅行ですが、心静かに眺める夜の海は最高でした。次は1人でNbox+で来て、車中泊で孤独と静けさを満喫する予定です。

慶応の応援に批判殺到中?

暑い夏の甲子園が終わりましたね。慶応の高校が107年ぶりに優勝したとの事で良かったですね。本当におめでとう御座います。
生まれ育ちが良く、都会の良い教育環境で真っすぐに育った、頭も性格もルックスも良い若者が、文字通り血のにじむような努力して勝ち得た優勝です。本当の実力だと思います。ただ、少なからぬ数の人がその「天から与えられたものの多さ」に嫉妬してか、OB・OGの(早慶戦さながらの)応援の在り方に対して批判をしているようです。

また、その批判に対して三田会の人々が「学歴コンプレックスの塊のような批判だ。悔しかったら今からでも慶応に行ったらどう?」なんて書き込みを返しています。

このあたりの事について、皆さんはどう思われますか?

私は

「平日のまっ昼間に、あんなに多くの人が仕事を休んで甲子園に応援に行けるような社会的地位や余裕があるなんて、流石、一流大学の慶応だな。歯医者なんて親兄弟が危篤と連絡があってもアポイントがあるから、急には休めない。」

「慶応などの有名大学出身だと、日本社会では相当に生きやすいのかな?知らんけど。個人商店の店主の一匹狼の私は一生実感する事がないけどな。」

なんてことを感じました。

今の日本社会が「出身大学が肩書として一生有効で、難関大学や有名大学を出たら勝ち組に入れて、楽に生きていける」ようなスケールの小さい状態なら、世界の競争から取り残されるのは当然だと思うのですが、どうやら今回の慶応の応援に対するヤフコメを読んでいると、日本人の価値観が見えてくる感じです。

慶応出身者を勝ち組に仕立て上げているのは、それ以外の人達の価値観や態度だと気が付いた方が良いと思います。それ以外の人達が心のどこかで根拠のない嫉妬や劣等感を抱いて「慶応なの?凄いね。」と思ったり、言ったりしてしまうから、そうなるのでしょう。そろそろそういう妙な事はやめて「今現在の、個人の実力で勝負する世の中」にした方が、将来の日本の為には良いと思います。

ちなみに、我々のような開業歯科医は何十年も前に卒業した高校や大学の名前なんて、現在の実力には一切関係がありません。プロ野球選手と同じ感じかな?

私がこのブログで「白陵出身」「国立岡山大学歯学部出身」などと(多少自慢げに)言っていますが、今現在の自分には「過去の学歴」なんて本当にどうでも良い事で、多くの日本人がそういった事を好むという事実に合わせて「故意に自慢げに」言っているだけなのです。

例えば学会や講演会などで出会った人から、「私はラサール出身」とか「私は阪大出身」とか「子供が慶応医学部に入った」とか(私が聞いてもいないのに)言ってこられる事あるのですが、(無意識に何かを期待して言っているのだから、その人を喜ばせてあげようと)「それは凄いですね!」と大げさに返事をするのですが、実際にはそんなに凄いとも、何とも思っていないのです。

日本の企業では、東大や慶応を出たら最後の一コマは無しにできるの?

だって、「息子が東大医学部に入った」とか言われても、本当に羨ましいとも何とも思わないんだもの。(羨ましがっているふりはするけどね。)

こんな価値観の私って、やっぱり相当に変ですかね?



with Gentle Hands and Heart:新しい看板のスローガンに込めた想い

前回、「8年ぶりに小さな看板を出してみました」という話をしました。見落としそうなサイズの小さな看板ですが、これを掲げるに当たって、自分の心の中では結構大きな決心が必要でした。

理由は2つあります。

サービス業の店が、看板をあげずにやっている時と看板をあげてやっている時とでは、その心構えが全然違います。看板をあげている状態=「お客様がのれんをくぐって入って来て下さった時には、万難を排して、失礼の無いようにお迎えする所存です。」と意思表示している事になるからです。
これは自分的には今までとは大きな違いだ。ちゃんとしなくっちゃ。

もう1つは、私が作って掲げたスローガンです。看板の最下段に with Gentle Hands and Heart と書きました。
友人のYさんは「見た人全員に意味がわかるかな?」と言っていましたが、小学校か中学校で習う平易な英単語で書かれたこのスローガンは、きっと誰にでも理解できるはずです。

ほとんど誰も気が付かないようなサイズの看板に、誰も読まないようなメッセージが書いてあるだけなのですが、私としては一大決心でした。

歯医者は一生懸命頑張って勉強して、自分なりに出来る限りの事を誠心誠意やっても、(マスコミやヤフコメや Google 口コミ等で)ケチョンケチョンに言われたり書かれるので、私の心は数年前にすっかり折れてしまっていて、もう精神的に限界になっていました。

でも、この数年間、英保歯科のお客様の笑顔や感謝の言葉によって、少しずつ私の心の傷が癒されてきました。そのような理解あるお客様の優しさに応える為に「もう一度だけ頑張ってみよう。できる範囲で踏ん張ってみよう。」と小さな決心をしたのです。

もしもこの看板が消えて無くなってしまった時には「英保先生、また心が折れちゃったな。」と思ってやって下さい。そうならないように頑張ってみますね。

「看板に偽りなし」で行かなくてはなりませんので、かなり緊張しますが、とにかく精一杯やってみます。

原点回帰:8年振りに小さな看板を出してみました

平成28年に思う所あって(種々の人的ストレスに耐えきれなかったのが主な理由ですが・・・。)徹底的な断捨離をスタートしました。お洒落で可愛いく雰囲気のあったゴージャスな植栽を全て切り落とし、「英保歯科(英保裕和)の価値観や理念を知った上で、それでも『英保歯科のファミリーになりたい』と思って下さる方だけに来てもらえば良い。」と腹をくくって、看板を全て取り払ってしまいました。

看板が無いので、パッと見、「新興宗教か!?」と思うような外観になってしまっている現在の英保歯科。院長が我がままでスミマセン。

それからアッという間に8年が経過しました。「お客様は激減するだろうな。」と覚悟しての事でしたが、むしろ増え続けているのですから、驚きと感謝の気持ちで一杯です。

「予防歯科に力を入れている歯科医院だから」「売り上げを伸ばす事なんて一切お構いなしに、私達の歯を大切にする事だけを考えてくれているのが伝わってくるから」「治療が丁寧だから」「英保歯科でやってもらった15年前のインプラントの調子が良いから。友人が他でやってもらったインプラントは・・・。」と、(看板が無い歯医者に)来て下さる理由を尋ねたら、このようなコメントを頂く事があります。嬉し過ぎるよね。

更に驚く事に、今でも来院して下さるお客様は増え続け、昨月は28年前に開業して以来最高のお客様数を記録しました。わがまま放題してきた私が一番ビックリしております。

スタッフに聞くと「ウッディの皆さんは『英保歯科は特別な歯医者さんなんでしょう?普段から予防で通院していないと診て貰えないと聞きました。』と言っておられるそうですよ。」と教えてくれました。

「ウーン、特別な歯科医院と言われたら、当たってるような、そうでも無いような・・・。」と、私。

英保歯科に興味を持って下さった方や通りがかりの方に「英保歯科らしさ」を伝えたいと思って、このような小さな看板を上げてみる事にしました。ロゴデザインはプロのデザイナーが、その配置やスローガンのメッセージは私自身が考えました。
ここ8年間はガラスに貼ったコピー用紙1枚が看板代わりでした。口コミのお客様か、よっぽど勇気ある人以外は入らないよね。

「ソフトな雰囲気の素敵な看板が出来ましたね。これが出ていれば、かなり入りやすくなると思いますよ。」と、スタッフ。

「『入りにくい歯医者』か。考えた事も無かったけど、看板が無いと、そう言われたら確かにそうだね。流石にそれは良くなかったよね。」と、私。

インプラント治療のセミナーに参加してきました

8月6日の日曜日。絶好の行楽日和で子供達を海にでも連れて行ってやりたかったのですが、朝8時半の電車に乗って単身大阪に向かいました。インプラント治療に関する最新情報を収集し、知識をアップデートするためにセミナーに参加する予定が入っていたからです。

会場はここ。夕方までここにカンヅメです。頑張ります!
歯科治療のDXは猛スピードで進んでおり、ついて行くだけで必死です。
デジタルイミグラント世代の私ですが、デジタルネィティブ世代に負けてられません。頑張ります!
やっと昼休み。疲れた。
尊敬する下田先生が座長として登壇されました。頑張れ~。
ご馳走が出ました。梅味のグミみたいなものが梅干しの代わりに使われていました。こんな所にもトランスフォームを感じる。

吉川の双龍居レストランにて

昨夜は友人と3人で吉川の双龍居レストランに行ってきました。
一緒に行ったお二人は中国に赴任されていた経験があり、「(良い意味で)中国の田舎のレストランの雰囲気そのまま」の双龍居のディナーをとても喜んでくれました。

敏腕ビジネスマンのYさんは新三田のスタバでパソコンを使って仕事中です。Nさんのアルファードでピックアップにあがりました。
吉川インターすぐの双龍居ホテル・レストラン

NさんもYさんも中国に何年も住んでおられたので、普段我が家が注文するメニューと全く違う品を全く違う順番で注文してくれました。「懐かしい。これって中国の田舎のレストランでよく食べていたメニューです。普通の日本人はオーダーする事はないと思います。」とか言いながら。
お二人とも中国語がペラペラで、中国語で注文されていました。中国語が喋れるなんて、メチャクチャカッコいい。

蒸し鶏のような料理。
麺のように見えますが、お豆腐なんです。
チンタオビールや紹興酒がエキゾチックな雰囲気を盛り上げてくれます。
エビですが、唐辛子が効いて辛いのなんのって。ヒーヒー言っている私を尻目に、お二人とも「こんな辛さは序の口ですよ。」と涼しい顔。
ジャガイモを煮たようなものだそうです。「これも中国でよく食べていた田舎料理です」とのこと。

そして料理の終盤は「飲茶で〆る。」のだそうです。

小籠包
こちらは海鮮入り。
こちらも海鮮入り。何という料理か忘れた。

「中国では料理の最後に結構ヘビーなものを食べるんですね。何ででしょうね?」とYさんに聞くと「そうですね。日本人で言うと〆のラーメンみたいな感覚だと思いますよ。」と教えてくれました。なるほど~。

Yさん、Nさん、お付き合い有難う御座いました。今回もお二人との会話の中で多くの気付きや学びがあり、楽しく有意義な会食となりました。