Artは自然美を超越できるのか?

歯学部の6年間のカリキュラムの中で学生は、皆さんが思ってもいないような事も学んでいます。医学部のように、ご遺体による全身の人体解剖も行いますし、美大のように鉛筆を使ってデッサンをしたり、石膏のブロックを削って彫刻をしたりもするんですよ。

但し、その Art の対象はビーナスのような美しい女性ではなく、全て「歯」なのです。歯を芸術的にスケッチしたり、ミケランジェロの彫刻よろしく、四角い石膏のブロックをカービングナイフで削り出して歯の特徴を表現したりするトレーニングを受けるんです。

歯科医師は歯の治療をする時には常に「いかに自然の歯に近づけるか」の挑戦をしています。毎日毎日が芸術作品を作成している芸術家のようで、私も30年以上歯科医師をやって毎日挑戦していても「これで満足」という域には達していません。日々のこのような経験の中で、完璧にして最高の作品を創り出す手段を考え抜いた結果、到達したのが「予防歯科」なのです。

私が「これは最高に美しい。これで満足!」と思えるのは唯一「そこに元々ある自然の歯」だけなのです。私がいくら勉強し、鍛錬し、繰り返し挑戦しても「神様の創造物、母親が自らの体を削って与えてくれた愛に満ちた存在(=歯を含む子供の体)」の美しさには絶対に勝てません。

先日美しい女性が我が家に来てくれて、微笑ましいカップルが誕生しました。この二人を見ているだけでも自然の美しさや神々しさを感じます。私の Art の技量では太刀打ちできません。とてもとても表現不可能です。それと、「自分はやっぱりベジタリアンで良かった」とも思います。

文系の人にお伺いしたいのですが、芸術家は 「Art が自然の美しさを超える日が来る」と思って挑戦しているのでしょうか?
絵画や写真をやっている芸術家は、いつかは森林の美しい姿やあの土や雨の匂いや肌に当たる風などを超えた表現ができると思って挑戦しているのでしょうか?
音楽家は鳥のさえずりや波の音、嵐や雷の音、雪の日の夜中の静寂などを超えて、彼らのサウンドで聞き手の感性に届ける事ができると思っているのでしょうか?
私は人間のやる Art が自然を超える日が来るとは思えないのです。皆さんはどう思われますか?

私がいくら鍛錬を積んでも元々そこにある歯の美しさを完璧に再現できるようにはなりません。なぜなら私は神でも母親でもないからです。

ですから私は歯を削るのが大嫌いですし、予防歯科が大好きなのです。