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OKINAWA(オカナワ)

中学の頃に「POPEYE」という雑誌に出会って以来、アメリカ(西海岸)に憧れていた。

ところが、母親の教育方針で、高砂にある丸坊主強要の軍隊式教育が売りの中高一貫校の寮に入れられてしまった。どう考えても自分の性格に合っていなかったのだが、厳しい母親は絶対に退学を許してくれない事が分かっていたので、「辞めたい」と口にすることすらできなかった。思い出したくもない暗黒の6年間だった。

その後、岡山大学に入って親の監視からも解放され、「よし!自由だ!本来の自分に戻るぞ!」と、思いっきり長髪にして、真っ赤な中古車を買って、サーフィンを始めた。岡山は瀬戸内で波が全くないので、ウインドサーフィンという選択肢になったが、これがまた楽しかった。

短波が受信できるラジオを買ってアパートのベランダにぐるりとアンテナを張り巡らせて、夜中になると岩国から飛んでくるFEN(極東放送)という米軍の放送やサイパンから飛んでくるノイズまみれの英語の放送を必死になって聞いていたなあ。

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沖縄の米軍基地は「コザ市」という所(今の沖縄市)にある。1980年代のコザ市はアメリカの空気がして大好きだった。夏休みには(金が無いので)大阪南港からフェリーの4等船室で24時間以上かけて沖縄に行って、コザの近くの民宿に泊まってウインドサーフィンをしていた。
そうそう、小さなラジカセを持って行って、民宿で米軍放送のFMをカセットに録音して持って帰ったなあ。ここの民宿のオーナーさんもアメリカ大好きオヤジで「好きなように沖縄をドライブしてこい。」と無料で自分の車を貸してくれた。保険にも入っていなかったのに、良い時代だった。

沖縄に行った時には必ずコザ市のバーに行って米軍の連中と話をしていた。日本なのにドルが使えて、キャッシュオンデリバリーで、日本語は誰も喋っていなくて、MTVが流れていて、まるでアメリカに来ているみたいだった(実は、大学卒業まで海外に行った事がなかったので、勝手にそう思っていた)。当時の私の英語の発音は全然ダメだったけど、若さ故の勢いで今よりはるかにベラベラと喋っていた。それから、喋り言葉で通じない時に使った筆談では、受験勉強で習得した「完璧な文法とスペルと難しい単語」に米軍の兵士がビビりまくっていてとても楽しかった。

そこで知り合った空軍の兵士と意気投合して米軍基地の中に連れていってもらったことがある。基地へ向かうタクシーの中で彼が私に何か聞いてきたが理解できなかった。タクシーの運転手の地味なオッサン(日本人)が「基地ではバーでミュージックビデオが見たいか、他に見たいものがあるかと言ってるよ。」と、この地味なオッサンが完璧に英語を理解しているのを知って愕然とした。

基地のゲートでは街でナンパした日本人の女の子を連れて入る兵士の車がいたりして面白かった。私も名前を書かされたりしたが、ゲートの黒人兵士はとてもフレンドリーだった。
基地の中は完全にアメリカそのもの。大きなジムやその他の巨大な施設に圧倒された。
ビールを奢ってやると、基地内のバーに連れていってもらった。笑顔の可愛いいウエイトレスはフィリピンから来た女の子だった。そこでは「珍しい日本人の若者(私)」が沢山の兵士に取り囲まれて質問攻めに。「柔道と空手とどっちが強いんだ?」とか、色々聞かれて、必死になって答えていたけど、正直あまり通じなかったように思う。でも、楽しかった。

見たこともないビールを奢ってもらって、その空き瓶を「記念に持って帰ろう」と、ぶら下げて基地内を歩いているとアメリカンパトカーが追いかけて来て焦った。もう真夜中だったと思う。ポリスが車から下りて来て近付いて来た時は緊張したなあ。職務質問をされて、「中身が入っている酒瓶を基地から持ち出すのは(密輸扱いになるので)ダメだが空き瓶ならOKだ。」と言われて無罪放免。ホットした。

今から思えば、全部英語で話していたんだから、「若い頃の勢い」って凄いよね。

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数年前に家族で沖縄旅行に行った。学生時代の経験があったので、とてもワクワクしていたのだが、モノレールができたり、イオン系のスーパーができたりしていて風景が一変していた。
20年以上経って、沖縄が「OKINAWA」(米軍の連中はオナワと発音する)ではなく、ただの「沖縄」という日本の地方都市になってしまったことを悟った。私の大好きなアメリカの空気はもうそこにはなかった。

家族で市内を移動する時に乗ったタクシーの運転手に話しかけた。「米軍基地の中に入ったりできるんですかね?」「米軍基地!?とんでもない。入りたい人なんかいないし、米軍には迷惑しているんですよ!」
・・・。この運転手さんは英語も喋りそうにないなと思った。

そして、当時聞いていたFENは最近AFN(American Forces Network Pacific)という名前に変わったらしい。

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今、スマホアプリ、Smart RadioでAFN Okinawa(Surf 648)を聴いているところです。【 Google Play:https://goo.gl/FZGDEy 】

 

どうしても使えないよ。英保歯科のお客様には。

※今回話題に挙げる「被せ(かぶせ)」とはキャップのような形状のもので、「詰め物」とは違います。

奥歯にも、保険で白い「被せ(かぶせ)」ができるようにはなったのですが・・・。CAD/CAM冠というカッコイイ名前なんですが、保険のCAD/CAM冠は悲しい事にプラスチック製なんです。プラスチックでも強度を出すために、セラミックや金属に比べて被せの厚みが必要になります。つまり、ご自身の歯を大量に削り取らないといけないので、この「保険の白い被せ」は英保歯科では推奨できかねるというお話をした事があります。

しかしながら、少なからずの歯科医院がこれを「ビジネスチャンス」と捉えているようで、「保険で白い被せができるようになったんですよ!銀歯の被せを保険で白い歯にできますよ!やらないと損ですよ!」みたいな事を言っているようです。先の事を考えない、短期間の美容の面ではメリットがあるのかも知れませんが、英保歯科の自分の大切なお客様には、はっきり言ってやりたい仕事ではありませんね。

関連する記事が載っていましたので、下にリンクを貼っておきます。参考にして下さい。

白くて自然 歯科医が推奨「CAD/CAM冠」のメリットと疑問(日刊ゲンダイDIGITAL)

この記事の中では「神経を取ってある歯なら、(削る量が膨大になっても関係ないので)この保険のプラスチックのCAD/CAM冠にしても良いでしょうが」といった事が書いてありありますが、私(英保先生)から見ると「神経が取ってあるからといって削り倒してもOK」という理論は成り立たないと思います。いかなる場合でもたくさん削った歯の寿命は短くなるのです。

このように考えますので、英保歯科では「保険の銀歯の被せ」か「ジルコニアセラミックの被せ」の二者択一になってしまいます。

どうしても白い被せにこだわって、かつ、先々までその歯を残したいのなら、自由診療のセラミックのCAD/CAM冠を選択なさるのが賢明だと思いますよ。

神よ彼を救いたまえ。(閲覧注意)

「歯石がたまってきたから、そろそろ歯医者に行かないと・・・。」それで本当にいいのかな?

4年間も歯科衛生士の先生の治療を受けていないお口の中って想像できます?きっと、英保歯科のファミリーの皆様には考えられない事でしょう。

糖尿病専門医の西田先生は「歯周病は糖尿病とそっくりな所があります。初期は自覚症状がない点と、一度進行してしまうと元には戻れない点です。」と説明されています。

歯石は「歯垢のステージ5」である事は以前にもお話しました。歯石は悪玉菌(歯周病菌と虫歯菌)の核シェルターのようなもの。歯石で完璧に守られた歯周病菌はLPSという有害物質を大量に産生し、歯茎と骨が「音もなく静かに(自覚症状無しに)」破壊されます。
更に恐ろしい事には、生きた歯周病菌とLPSが周辺の毛細血管から体内に入り、全身の血管を駆け巡ります。ですから歯周病が脳梗塞や心筋梗塞の原因になるのです。

歯のケアーを怠ったために脳梗塞になって介護を受け、歯も少なくなって流動食しか食べられない老後自分の姿が想像できますか?

「歯石が付いているだけ」と思われるかも知れませんが、私には「静かな自殺行為」に見えます。
歯石の内側には、歯周病菌の産生した物質が付着しています。真っ黒な色が毒々しいでしょう?

歯科衛生士の先生の予防治療があなたの人生を守ってくれる」という表現が大げさでないことが理解できますか?

英保歯科では歯科衛生士を「先生」付けで呼んでいますが、その理由は、ここにあるのです。彼女達は「命と人生を救う(予防する)仕事」をしているのですよ。

 

 

日本は自由な国

歯の病気は虫歯だけだという固定観念から抜けきれない男性のお客様。過去に何度も歯周病について説明したのですが、歯周病の恐ろしさが未だに理解できないようです。

「詰め物が取れた。痛みは無い。」との事で、英保歯科に4年ぶりにお見えになりました。4年ぶりですが、痛くなるまで歯医者に行かないよりは随分立派です!

「ずっとほったらかしにしていてスミマセン。」とも。怒られると思っておられたのでしょう。確かに4年前の英保先生なら怒っていたかも知れません。

2年前から「断捨離」を遂行して価値観が大きく変わった私(英保先生)。日本は憲法で個人の自由が謳われている国です。一人一人の価値観、行動には自己責任による自由が保障されているのです。「歯(人生)を大切にするのもそうでないのも、あなたの自由なんですよ。」と心の中で答えます。

未成年や、子育て中のお母様、祖父母には(子供達の悲惨な将来が見えてしまうので)熱く、強く説得する事はあっても、成人には理解して頂くために誠心誠意説明するだけで、「怒り」の感情は全く湧きません。「気の毒に」と思う事はしばしばありますが。

4年間も放置していたので、彼のお口の中では、静かに、症状も無く歯周病が進行していました。「簡単に予防できた事なのに・・・。気の毒に・・・。」と思いました。

続きは明日お伝えします。

一人きりでやってみました。

今日は文化の日で休診ですが、午前中だけ診療しておりました。
来週の土曜日は、新潟で開催される日本接着歯学会に参加するために診察ができないのです。
土曜日が営業日である我々にとっては、年に数回しかない連休ですので、スタッフには休んでもらって一人きりで開店することにしました。
ZOOという器具があるので、一人でも治療はちゃんとできるのですが、事務的な事はハードルが高過ぎました。
治療費は「次回の来院時にまとめてお願いします。」次回の予約は「またお電話でお願いします。」と、「スタッフには本当に感謝するな~。」思いながら、診療をしておりました。
「先生お一人なんですか?お休みの日に有難うございます。」と、お客様はとっても喜んで下さいました。
そのように言って頂いて、私もとっても嬉しくなりました。
温かい言葉のやり取りでお互いの気持ちまで温かくなるって、本当に良い事ですね。

母校での講義

開業医なのですが、「岡山大学歯学部臨床講師」という役職を持っておりますので、大学で講義しています。
昨日は臨床実習に出始めたばかりの歯科医師の卵の皆さんに講義をしてきました。

大学で学んでいるうちに色々な「固定観念」が生じてしまう話も交えて、最新の治療の方法など、色々な話をしてきました。母校の学生達は皆真面目で熱心な「子」ばかりで、1時間だけの講義でしたが、熱弁を振るってきましたよ。

岡山は第2の故郷。ここに帰ってくると本当にホッとします。
地方都市らしく、皆さんの表情も穏やかでスピードもゆっくり。
また帰ってきますね、Love 岡山。

けやき台こども園

昨日はハロウィンでした。お向かいのけやき台こども園にもマリオやお姫様などの仮装をした可愛いい子供達の姿が見えていましたよ。
夕方にそのけやき台こども園から新しいお客様がお見えになりました。4歳の女の子とそのお母様です。

お嬢様の方は、入室する時は怖がっていましたが、「見るだけ」と言って歯の状況を見させて頂きました。

前歯に小さな虫歯ができていて、それから噛み合わせにも少々問題があるので、それらの2つについて、原因除去のための「予防歯科的アプローチ」についてお話をさせて頂きました。20分位喋っていたかな。

こちらのお母様、お子様への愛情に満ちたとても聡明な方で、毎日のフロスやヤクルトの中止、フッ素入り歯磨剤の使用など、家庭でできることを既に実践されており、今日私が説明した事もきちっと理解しておられました。
「永久歯は絶対に虫歯ゼロで行きましょうね!お二人なら全然難しい事ではありませんよ。」いう言葉で説明を終わりました。

絶対大丈夫。賢明に対策を立てて実践すれば、虫歯と不正咬合を予防して美しい歯と歯並びを手に入れる事ができるはずです。ハードルはそんなに高くありません。

歯科医師として、彼女の成長を見守るのがとても楽しみです。

材料屋さんってご存知?

英保歯科を支えてくれている人達は現場に勤務してくれているスタッフだけではありません。

歯科技工士の先生や、歯科医師の意向(こんなかみ合わせ奥歯のかぶせを作って欲しいとか、こんな色調で前歯のかぶせを作って欲しい、など)を毎回技工士の先生に伝えてくれる仲介役の業者さんがおられます。

また、治療の材料や器具を販売、配達してくれたりする「材料屋さん」と呼ばれる方もおられます。納品に来てくれた時に、調子の悪い機械などの修理も「チョチョイのチョイ」とやってしまう「何でも屋のソレちゃん」のような人なんですよ。

高度な専門知識と専門技術を身につけ、暑い日も寒い日も軽四で頑張って訪ねて来てくれて、舞台裏で頑張ってくれている「歯科の材料屋さん」という名前を覚えてあげて下さいね。

断酒を困難にしたもの

18歳の時に肉類を食べるのをやめて、10年前に断酒をしたのですが、両方ともやめるのはとても難しかったですね。

何が困難にしたと思いますか?食べたい・飲みたいという欲望?いいえ、違います。

一番難しかったのは、「周りの人達」の常識や価値観です。学生の時に焼き肉に誘われても、「キャベツばかり食べているつまらないやつ」、居酒屋に行っても「ウーロン茶ばかり飲んでいるつまらない男」なので、「食べろや。面白くないやろ。」「俺の酒が飲まれへんのか。」と、執拗に言ってくる人が少なからずいて、頻繁にトイレに逃げなくてはなりませんでした。

皆さんだったら付き合いますか?日本人だからほとんどの人は折れますかね。特にJKや会社勤めの「真面目な」人はそうじゃないですか?

私は自分の信念を通しました。失ったものも沢山あるかもしれません。

でも、その失ったものは、恐らく自分にとっては必要の無いものだったのだと思います。
むしろ、失った方が幸せなものもありますよね。失うこと、縁を切る事によって次のステージ、上に向かって進めるんです。

本当に必要なもの、本当に大切なものは「物凄く数が少なくて、物凄く小さくて、とっても地味で、でも、よく見ると眩しいほど光輝いている」ものだと思うんです。

一例を挙げれば、「私の宝物である家族」、英保裕和という人間を心から信頼して予防歯科のために通院して下さっている「ファミリーメンバーのお客様」、そして、私の理想を具現化させてくれている「英保歯科のスタッフ」ですね。

基礎って大事だね。

昨日の日曜日は良いお天気でしたね。

午前中に自分の部屋で事務作業をしていると、5歳の次男が「お父さん遊ぼ!」と入って来ます。
「間違うからあっちへ行っといてくれ。仕事が終わったら下りるから。」と私。
「わかった・・・。」と渋々出ていくのですが、10分くらいすると「もう終わった?」と、何度も何度も入ってきます。
「勘弁してくれ~。仕事なんや。」と言いかけた時に、下から妻の声。「集合~!お昼ご飯~!急げ~!麺が伸びる~!」。
「はよ行かな!」と私も息子も即座に立ち上がって駆けだし、先に階段をドタドタと降りている娘に続きます。

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イカ墨スパゲティーとサラダをたらふく食べて、ウトウトしていた時、次男が突然お腹の上に乗って来て、「ねえねえお父さん、ピンクの自転車の小さなタイヤを外して。」と叩き起こしてくれます。トホホ・・・。

お姉ちゃんのお下がりのピンク色の自転車で、長男が使っていたものなのですが、それを次男も使いたいそうで、しかもいきなり「はま無し」にしてくれと言うのです。
男子二人共、くたびれたピンクの自転車でも全く不平を言わないので、「こいつらも俺に似て、普通じゃないな。」なんて思ったりしながら工具箱を持って庭に出て行きました。外は良いお天気で爽やかです。

補助輪を外してスタンドに付け替える作業していると、長男が出てきて自分の「ハマ無し自転車」を乗り回し、次男に見せつけて自慢しています。
さあ、「最初からハマ無し」なんて本当に大丈夫でしょうか?

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30分ほど指導してやった結果・・・。

漕ぎ出しの方法もすぐにマスターして、スイスイと上手に乗れるようになりましたよ。1回も倒れる事もなしに、たった30分で、です。

種明かしをすると、あかしあ台のポップスサイクルショップがペダルを外した練習用自転車を無償で貸してくれていて、何か月もそれで遊んでいたのです。この練習用自転車のおかげで知らないうちに基礎ができていたんですね。

基礎って本当に大切ですね。おっと、仕事が残っていた。頑張って続きをしないと。