episode3:33歳で経営者になる

歯学部では、医療や哲学の勉強はしましたが、経営や経済の講義などは一切ありませんでした。昭和の時代ならいざ知らず、朝日新聞の作った名言「歯医者はコンビニより多い」と揶揄されるように、歯科医院の院長もサービス業としての立ち位置で健全な経営を行う責任があるのです。でも、バリバリの理系頭の33歳の若造が最初からそんなに上手に経営できるはずなどありません。

また、私が13年間を過ごした岡山は関西に比べると田舎なので、男尊女卑というほどではありませんが、女性が男性を立ててくれるような風潮がまだ残っていました。また、関西弁に比べると岡山弁はマイルドで優しく聞こえます。
中学・高校と男子校で過ごした私が久しぶりにそのような岡山からこの関西に帰って来た訳ですが、まずもって順応すべき課題は「関西の社会的風習・慣習になじむ」事でした。恐らく関東から関西に越してきた人と同様に、軽いカルチャーショックを克服する必要があったのです。

今から思えば、33歳当時の私に経営的手腕があったなら、今頃は大手の医療法人に成長していたかも知れません。でも、むしろ全く逆で、思いっきり理系(=技術職・職人)の方向に価値を感じてしまうのでした。まあ、経営者としては完全に失格ですが、性格は変えられないので仕方が無いですね。

2億円の借金返済の為には毎月100万円以上を銀行に納めなくてはなりません。そのためにアパートを借りる事はあきらめて、診療所の一角に仮眠部屋と小さなお風呂を設置してそこに住むことにしました。当時はまだ独身だったので、毎日診療が終わってからエルムプラザの阪急オアシスで割引になった総菜を買って来て、お風呂に入ってそれを食べて寝るという毎日でした。節約のために新聞もケーブルテレビも契約せずに、仙人のような生活を送っていました。若かったし、夢と希望があったから我慢できたのだと思います。