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苦楽園QUINにて:縁とは不思議なもの

木曜日は休診日で一日OFF。平日ですが自宅でコーヒーを飲みながらカーセンサーで中古車を物色したりニュースを読んだりしてまったり過ごしていました。

中古車を物色していた理由なのですが、妻が『軽四は危ないから普通車に変えて下さい。』と頻繁に言うようになってきたのです。学会に行くのに高速を使ったり、「早く家に帰りたいから、来年は飛行機じゃなくって車で松本に行くわ。」と言ったりしたから余計にそう思うのでしょう。軽四で高速道路を走ると事故をした時の危険性が高いですからね。

新車情報もサーチしてみると、レクサスがLBXという小型SUVを発表したとの事。凄くカッコいい。400万円とは最近の車としては高いようなそうでもないような。新型アルファードはオプション付けると800万円だそうですからね。

で、三田在住の親友のYさんが紹介してくれて知り合った、西宮在住の実業家のNさんに Line で「このレクサスLBX、中身はヤリスクロスだけど、どう思う?」と尋ねてみました。『この車は良妻賢母過ぎて S660 乗りの英保先生は満足しないでしょう。壊れない、欠点が全く無い車はエンスーには耐え難いですよね。』なんて返信してくれました。

Nさんは平日で忙しいはずなのに、このようにいつでも私のチャットに「肯定的な」返信をしてくれます。実業家として成功して財を成しているNさんと知り合い、彼から学んだ事は山ほど、本当に山ほどありますが、「成功者は常に本能的、反射的に、目の前の人の良い点を見る。良い点を褒める。そして根っから性格が良い。」というのもその一つです。

そのNさんはずっと Audi Quattro を乗り継いでいます。自から認める車好きの私も実は欧州車がとっても気になります。(といいながら、30年以上も国産車にしか乗っておりませんが。笑)

「故障しない国産車も良いけれど、やっぱり欧州車に惹かれるよな。」なんて思いながらカーセンサーで Audi や BMW をボーッと眺めていると、Nさんから「英保さんも欧州車が好きでしょう?私がお世話になっている西宮の Audi に寄って、それからヴィーガンレストランでランチでもしませんか?」とお誘いのメッセージが届きました。

西宮の Audi にて。当たり前やけど、Audi ばっかりや。しかし、西宮は外車 and レクサス率が三田の20倍はあるな。

Audi で魅力的な車を何台か見学させて貰ってドキドキした後、苦楽園の QUIN というレストランを訪ねました。

QUIN。細部に至るまで、英保歯科の何倍もこだわりが強い。流石の私も完全に脱帽。

実は、ここの食材の一部は岡山大学の大学院時代に研究のイロハを教えて頂いた福井先生の山口県下松市の畑で採れたものなのです。

若き大学院生時代の私と福井先生。米国の学会場にて。この時は伊丹から米国に飛びました。
昨年の5月にその福井先生を訪ねて下松市まで行ってきました。軽四の N box+ で車中泊の旅でした。何十年振りの再会です。この時に「家庭菜園仲間のお嬢さんが神戸でレストランをしている」と聞いていたのです。
QUINのオーナーと共に。このオーナーが下松市出身で、彼女のお母さまと福井先生が家庭菜園グループの仲間なんです。信じられないほど不思議なご縁でしょ?
完全なヴィーガン料理のランチ。手の込みようが半端じゃない。こだわりが強いと経営を圧迫するから大変だ。私にはその苦労がわかるけどね。
完全なヴィーガンメニューなのにこんなに美味しいとは驚き。ちなみに店内は平日昼間なのに満員でした。
N さんは色々とためになる話を(説教では無く面白く)してくれました。

大学院時代に福井先生と出会ったのも、Nさんと知り合ったのも、QUINのオーナーに出会えたのも、縁があったからこそ。縁って本当に不思議なものですね。

愛車で次男と淡路島へドライブ

昨日は次男にせがまれ、愛車を駆って淡路島にドライブに出かけました。

三田から高速道路を走ること40分。淡路島が見えてきました。ワクワク。
日曜日のハイウェイオアシスはエンスーが集まってきます。今日はどんな車が来ているか、楽しみ。
ランボルギーニ・ウラカンが居るじゃないですか!末っ子もスーパーカーが見れて大喜びです。
我が愛車S660 を隣に停めたかったけど、「トナラー」は嫌われるから一台分空けて駐車しました。

北淡インターで降りたら、今最もホットな淡路島の西海岸に到着です。パンケーキ屋さんの成功を見た地域の人が、我も我もとレストランや宿泊施設を建てています。まるでバブルの時代を見るようです。

若いカップルだらけの西海岸。次男が「屋根を外して走ろう。」というので、男二人乗りですが、そうしました。
真夏の昼間のオープンクルーズは全然快適では無く死ぬほど暑いのですが、「パンケーキ屋さんの前にいるカップルのそばを走る時は『涼しそうな』顔をして、カッコ付けようぜ。」と息子と作戦会議。ま、アホな親子ですわ。

「お昼ご飯は二人で井上のラーメンでも食べるか?」と次男に聞いたのですが、「お母さんが来ていないのにレストランに行くのは、お母さんが可哀そうだからコンビニのお弁当でいい。」と言います。「そうやな。又皆で来た時にレストランに行こか。今日はファミマのイートインでええか?」と私。「うん。それがいい。」と次男。

という訳で、お昼ご飯はこれでした。
「お母さんが待っているから、そろそろ帰ろう。」と次男。帰りの車内では You Tube Music から流れる J-POP に合わせて二人でカラオケ大会となりました。

午後3時頃に自宅に到着。4時間ほどのドライブでしたが、末っ子孝行ができて良かったです。

<おまけの話>

晩御飯の時に(妻と留守番をしていた)長男が「二人のお昼ご飯はコンビニのざるそばかおにぎりだよね。」と言うのでびっくり!
私:「何で知ってんの!?お父さんがそう言ったっけ?」
長男:「お母さんが『二人はレストランに入らずにコンビニのざるそばかおにぎりでも食べて3時頃に帰ってくるよ。』って言ってた。笑笑。」
私:「・・・。お見通しって訳ね。・・・。」

どこの家庭でも、長年一緒に過ごしていると、こんなもんでしょうね。まあ、幸せな事だな。

道の駅あいおいの「かき巻」は絶品だった!

木曜日の休診日を利用して夫婦で龍野と相生までドライブに行って来ました。妻を津田宇水産のレストランに連れて行ってやろうと密かに画策したのです。(結婚した途端にパートナーをお洒落な所に連れていかなくなっているあなた。私を見習うように。)

山陽自動車道で龍野ICで降りて南下し、御津から相生のペーロン道の駅へ抜けて、龍野西ICまで行って山陽道で帰ってくるルートです。(その逆でも良い)

龍野ICと道の駅みつの位置関係はこんな感じです。
ついた、ついた、潮風が気持ち良い、素晴らしい道の駅「みつ」
潮風を胸一杯に吸い込んで、生き返ります。
播州生まれの播州育ちの私には「播州」の文字は「もうええわ・・・。」という位に見飽きています。播州→姫路→高砂→白陵→暗黒の学生時代と、連鎖的に思い出しちゃうし。
だから、播州はもうええわ。でも、美味しそう。買おうかな・・・?
こちらは駐車場にあるお洒落なスタンドショップ。
看板が面白い!
こんな植物も格安で販売されています。
名付けて「ゆめオイスター」だそうです。座布団持って来い!
瀬戸内の地物エビも販売中。地物は安心ですよね。

お腹がペコペコになっていましたが、そのまま、津田宇水産目指して湾岸ドライブ。津田宇のカキフライ定食を腹いっぱい食べるぞ!

でも、せっかく到着したのに閉まっていた・・・。津田宇水産は水曜日と木曜日が定休日だそうです。
更に悪い事に、近所のレストランも津田宇水産に合わせるように軒並み閉まっています。

結局、ファミマでおにぎりやサンドイッチやざるそばを買って車内で食べる事になっちゃいました。お洒落なお店で喜ばせるつもりが、最低のデートとなってしまいましたが、妻は文句も言わずに付き合ってくれました。良かった。

道の駅あいおいのスタンドショップでこのような商品を発見!関西の複数のテレビで紹介されたそうで、知る人ぞ知る人気商品との事。
こちらのショップのご夫婦が魚のすり身から作っているそうで、中には相生のカキが丸ごと1匹入っているとの事。どんなんやろ?
妻と私と一つずつ買って食べてみる事にしました。
熱々に温めて、手渡してくれました。ガブリとやってみたらこんな感じ。
シソの風味が効いた練り物の中には牡蠣とそのエキスが封入されていて、最高に旨い!磯の香りがするぞ。
これで1個250円は安すぎないか!?1個400円しても不思議では無い手間暇とボリュームと味でした。
「お姉さん、生中一杯持ってきてくれ。」と言いたくなります。

お持ち帰り用に10個追加購入させて頂きました。お姉さん曰く、通は温めずに冷えたままで食べるとの事。本当はその方が美味しいそうです。ご主人が作ったら少々細い商品が並ぶとの事。お姉さんが作ると、同じ250円でも今日のように「極太くん」が並ぶそうです。面白いね。

「三田から来ました。またこれだけ買うために来ますね。」と言うと、とっても嬉しそうな笑顔を返してくれました。

皆さんも是非、龍野と相生の道の駅に行ってみて下さいね。

松本から三田に帰ります

昨日は午前中打ち合わせ、午後からは3時間立ちっぱなしで学生実習のインストラクターという仕事内容でした。

朝の5時半起床で神戸から飛行機に乗っての移動でしたから、夕方にはかなり疲れておりましたが、岡山大学の同級生の十川教授が松本にある郷土料理屋さん「しづか」に連れて行ってくれて、美味しい郷土料理に舌鼓を打ちすっかり元気になりました。

ここ、「しづか」はおでんが美味しいそうです。Don’t miss it.
2次会はここ。松本で知らない人はいない程有名なショットバーです。
朝10時20分発神戸行きのFDA で三田に帰ります。

松本歯科大学へ出張中

今日は休診にさせて頂き、松本歯科大学に来ております。臨床講師を拝命していますので、学生の実習に臨床医の立場から参加させて頂く為です。

前回は車中泊しながら車で行きましたが、今回は飛行機で行く事にしました。

数年前のイメージと違って、搭乗のお客さんでとても賑わっておりました。
フジドリームエアラインにお世話になります。
オレンジ色の機体の向こうに船が見えます。神戸らしい光景ですよね。
久々の飛行機にワクワク。コロナ以降は乗っていませんでした。又アメリカに行きたくなってきた。
たった1時間のフライトでも軽食を出してくれます。FDA、有難う。
松本空港に到着。
松本歯科大学の前でパチリ。
UCLAのような広々としたキャンパスです。

岡山大学歯学部・万歳!

昨日の日曜日、大阪口腔インプラント研究会の第150回を記念する学術講演会が開催されました。ビッグネームの講師をお招きして華々しく取り行われ、会場は満員の参加者で埋め尽くされていました。

私は一番前の真ん中の席に陣取って講演を拝聴しておりました。講師が岡山大学歯学部教授、岡山大学副学長の窪木先生だったからです。

凄い先生なのですが、実は岡山大学の1年上の先輩で、学生時代は同じアパートに住んでいた仲なのです。

3時間に及ぶ熱弁を振るう窪木教授。体からみなぎるパワーとオーラに圧倒されます。
窪木教授は凄い先生ですが、演台から降りられたら即、岡山大学歯学部の1期生と2期生の関係に戻れます。
講演会後の懇親会ではさながら岡山大学歯学部・軽音楽部のリユニオンの様相でした。ドラム、ギター、ボーカル担当が揃っており、このまますぐにバンドを組んで演奏できそうです。
高校からずっとギターを弾いている岡山大学の後輩と共に。私に「英保先生、もう一度ドラムを叩きませんか?ジャズドラムを習って、セッションしましょう。」と言ってくれました。ちょっとその気になってきております。

大阪大学や大阪歯科大学、広島大学など歯学部のある大学は多いですが、自分達から見ても、他大学出身の先生方から見ても、恐らく岡山大学歯学部卒業生の一体感は抜きん出ていると感じるのではないかと思います。

レトロなせりふですが、「岡山大学歯学部・万歳!」と言わせて下さい。

沢蟹 from 高知県

我が家では、中3と小5の男の子二人が(反抗期で)大変な時期なので、私達夫婦のささやかな気晴らしは夕食後の皿洗いが終わった後にちょっと買い物に行く事くらいです。

で、先日の夜は、妻とトライアルに買いものに行って来ました。
いつもは私が妻を探してキョロキョロしているのですが、昨夜は何故か妻が私の事を探して話しかけてきました。珍しい事もあるもんだ。

「この間、下の子と川に沢蟹を捕まえに行ったんだけど半日かけても全然捕まえられなくて意気消沈していたんです。でも、ここに沢蟹がこんなに売っていたんです。しかも全部生きている。」
と言って、写真のような組み合わせで私の所に持って来ました。

妻が高知産の食用の沢蟹と共に持って来て見せてくれたのは巨大な飼育ケース。何を考えてんねん!

最近、 You Tube でスーパーで買ってきた食用の伊勢海老を飼育してみたとか、食用のモクズガニを飼育してみたとか、そういった動画を見ていたので、世の中にそのような変わった事をする人がいるのは知っていました。

まさか、自分の家族が同様の事を考え出すなんて夢にも思わず・・・。

それでも、世のお父様方同様に、私も妻の意見には逆らえず、「買って、やってみたら?」と笑顔で(ひきつっていたかも知れませんが)答えました。

で、その結果・・・。

数日経ちましたが、ゴソゴソと元気に動き回っております。雑食だそうで、米粒やキャベツなど何でも食べます。毎日飼育ケースを洗わないとニオイがするようになるので、砂利とかは入れないそうです。ケースを少し斜めにして水溜まりを作ってあげているようです。

パックに入っていた15匹のうち、弱っていた2匹は他界してしまいましたが、残りの13匹は生きています。友人に「高知から三田までやって来た沢蟹が元気に生きている。」と言うと、「低温で仮死状態にして輸送したんでしょうね。」と教えてくれました。

きっと養殖だと思うのですが、大事に養殖して育てて、低温仮死状態にして、15匹数えてパックに詰めて、低温輸送車で三田まで運んで、お店で並べて、その末端価格が1匹50円程度ですから、商売って本当に大変だと思います。

低価格・高品質が評価されている日本ですが、これだけ手間をかけても消費者からはこの値札程度の評価しか貰えないのですから、株などで不労収益を得ようと考える人が増えるのも理解できますね。

養殖だろうから、高知に連れて行って川に逃がしてやる訳にもいかないし、今後は一体どうなるのか・・・。又報告しますね。

episode 6:実りの秋が続いています(完)

転機は平成28年に起きました。開業して丁度20年程度、英保歯科の灼熱の夏が終わろうとしていた時です。

開業して10年目の頃、そうです、私が英保歯科の規模を拡大しようとしていた頃です。文科系の短大を卒業して就職してくれたある頭の良い女性がいました。彼女に一から歯科治療のイロハを教え込んで、約10年後にはすっかりプロ並みのスタッフになってくれて、英保歯科を支える大きな存在になってくれていました。

その彼女が英保歯科を卒業して新規開業される歯科医院に転職される事になったのです。私は丁度英保歯科の経営規模を縮小したいと思っておりましたし、彼女は英保歯科で学んだスキルを活かして(待遇などの条件が良く、長く勤められる)新しい歯科医院に勤めたいと思ったのでしょう。現代では、大企業ではキャリアアップのためにヒューマンリソースが流動するのは当然の事だと思いますが、私達中小企業は1人ベテランが退職すると現場のダメージが非常に大きい事も事実です。でも、私はその道をあえて選びました。

そしてそれを機会にこう考えました。「もっと、もっと、もっと。極限までありとあらゆるものをそぎ落としてみよう。そうすれば、きっと自然に英保歯科らしい(=英保裕和らしい)姿になってゆくはずだ。」と。

HPのトップに出てくる植栽の美しい英保歯科の外観は平成28年以前のものです。見た目は良いですが、草引きや掃除を私がしなければいけないので、本当に大変でした。当時の色々な事を思い出す引き金にするために、いまだにそのまま使っておりますが、現在の姿とは違います。

「植栽を切ってしまおう。看板も切って無くそう。そして、あれも、これも、捨ててシンプルに生きよう。」

その「徹底した断捨離」の結果が現在の英保歯科の姿なのです。

現在の英保歯科の外観。シンプルで、私らしくて、とっても気に入っています。「車止め」すら、あえて付けていません。

全く不安はありませんでしたが、現実には「それ以降、良い事しか起こらない」ので、自分でも断捨離の効果に驚いています。

経営規模を縮小して売り上げが半分以下になったので(フェラーリは諦めて)こちらのミッドシップスポーツカーにしました。国産の軽四だから維持費も修理代も外車のようにはかからないし、こっちの方が小さくてずっと楽しい(はず。フェラーリなんか乗った事ないから知らんけど)。でも、これでも十二分に贅沢でしょ?

その結果、口コミやこのHPで英保歯科の理念に共感して下さった方だけが来院されるようになりました。(看板が無いから当然ですが。)そして現在では、自由診療中心に、自分の知識や技術を存分に発揮できる仕事をさせて頂いております。歯科医師は技術者(職人)です。本当の職人は妥協した仕事をさせられるほど辛い事はないのです。

今は、これだけが看板です。

この「非常に良い状態」がもうかれこれ8年間も続いてくれています。この幸せな実りの秋が後2年といわず、5年、10年と続いて、英保歯科に冬の時代がやってこないように、まずは自分の心身の健康管理を徹底したいと思っております。
これからも宜しくお願いします。

追記:

この英保歯科のエピソードのシリーズを目にした英保歯科のスタッフが「英保先生、人生のまとめに入っちゃったんですか?歯医者を辞めないですよね?」と心配してくれました。笑。

「安心してください、働きますよ(Don’t worry. I’m working.)。」とにかく。

episode5:灼熱の夏

自分の店の経営規模を拡大して売り上げを上げる。マセラッティやフェラーリに乗って自分が成功者である事を見せつける。岡山大学の同級生や後輩の何人かがそんな風になってきていました。学生時代は歯医者の息子である私が一番リッチだったのですが、すっかり逆転されてしまいました。

これにしよう!

「遅ればせながら、自分も頑張ってみるかな?」そんな軽い気持ちで英保歯科の経営規模を大きくする事に着手しました。

診療台(チェアー)を7台に増やして、岡山大学の後輩の歯科医師2名に就職してもらい、受付のスタッフも大幅に増員しました。

その結果、売り上げは約2倍になり、もうすぐ医療法人化しなくてはという規模にまで大きくする事ができました。凄いでしょ?尊敬してくれます?

でも、そんな状況になっていても、私は全然ハッピーではありませんでした。

売り上げ2倍にはなりましたが、固定費は3倍、そしてストレスは4倍になっており、自分でも「もう限界かも」と思い始めていたある日の事です。昔からのお客様が「あちらの若い先生には失礼なのですが、私は英保先生に治療してもらいたいと思ってずっとここに来ているんですよ。」とおっしゃいました。また、他のお客様は「今の英保歯科は英保先生らしい雰囲気ではないと思います。」とも。

3年間ほど規模拡大に振っていた私ですが、その言葉を聞いてからは退職者が出ても増員せずに自然減に任せて、元の英保歯科のスタイルに収束させる事にしたのです。(フェラーリは諦める事にしました。)煩悩を持ったせいで自分の身に降りかかった色々な事項があります。それらの後始末に数年かかりましたが、合計約10年で英保歯科の夏は無事終わりました。

燃え盛るような夏はとても魅力的に見えますが、私には暑すぎたようです。

それに続く10年(現在進行形)は実りと収穫の秋となりました。経営的には収穫の秋ではありませんが、私の歯科医師人生に於いては最高にハッピーな10年となっております。

epsode4:春の嵐

私は少なくとも後10年、可能なら15年以上歯医者を続けさせて頂きたいと思っています。受付スタッフや歯科衛生士の先生方や英保歯科のお客様が許して下さってお付き合い下さるのなら。

英保歯科が出来てから約30年が経過しました。開業医としての歯科医師人生を春夏秋冬に置き換えて、10年を一区切りとするなら、最初の10年が春、次の10年が夏、その次の10年が秋、この先の10年が冬という感じになるかも知れません。

平成7年に33歳で開業してからの10年間は、春は春でも春の嵐のようでした。国立大学病院の看板の下で(勘違いして)偉そうにしていた30代前半の若造が、何の経験も無いまま、先輩からの指導も受けないまま、いきなりサービス業の店主になったのですからスムーズに行く訳がありません。しかも対象のお客様は日本一厳しい関西人です。

歯学部時代にそれなりに真面目に勉強していましたから、歯の治療方法については悩むことは少なかったのですが、対人的には毎日毎日が今までに経験した事の無いような失敗の繰り返しでした。

不幸な事に、白陵中学・高校では軍隊式教育というスパルタ的な指導を受けてきましたので、その事も目の前のスタッフやお客様の社会的価値観とのギャップを大きくする原因になっており、アジャストするのに大変苦労しました。太平洋戦争真っ只中の日本兵が軍服のままタイムマシンで平成のバブル時代のジュリアナに降り立ったようなものですから。

毎晩毎晩、自己反省や自己嫌悪に悩みながら頑張った10年でした。それでも何とか英保歯科が潰れずに続ける事ができたのは、英保歯科や私を見切らずに御贔屓にして下さったご近所のお客様の優しさと寛容のお陰だと、今さらながらに感謝しています。

さて、次の10年は夏。その頃は私も40代前半で元気一杯です。「事業をやる限りは、売り上げを伸ばすのが成功者の証」という事で、英保歯科の歯科医師を増員して経営規模を拡大する方向に舵を切る決断をしました。ホットな夏がやって来るはずです。