人生の岐路では「開かれた方」に歩め

私は宍粟郡山崎町という林業だけが取り柄の田舎で生まれ、小学校を卒業して高砂の中学の寮に入るまでそこで暮らしていました。実家から数分の所に親戚の家があり「譲治ちゃん」という従兄が良く我が家に遊びに来ていました。

山崎町は私立の進学校はおろか塾さえも無かった田舎町ですが、私の兄弟も従兄の兄弟も皆頑張って勉強して、5人全員が医師や歯科医師になりました。

そのうちの一人、譲治ちゃんは京都府立医大を卒業し、現在では東京医科歯科大学の教授になっています。ですから今は譲治ちゃんじゃなくて、譲治教授なのです。

縁とは不思議なもので、我が母校岡山大学歯学部の特別講師としてその稲澤教授が講義をして下さっているそうです。今年はZOOMでの講義だったそうで、個人的にそのビデオのファイルを送ってくれました。

届いたCD。稲澤教授は書道の心得もお持ちです。稲澤教授のお父様は教育者で自宅で書道教室を開いておられましたからね。私も小学生の時そこにしばらく通ったけど、近所の医者の息子と墨の付け合いの大喧嘩して破門になりました・・・。エライ違いだ・・・。

講義を拝見してビックリ。私も臨床講師として岡山大学歯学部で歯の治療の講義をしますが、正直言って内容のレベルが違います。彼は基礎研究者として世界的に有名な医師なのですから当然です。一方の私は(皆さんご存知のように)診療所で虫歯を削っては詰めての毎日で、彼のように世界に羽ばたくような人間にはなれませんでした。

中央の紳士が稲澤教授。研究室から多くの教授を輩出しておられます。

「歯学部を卒業したばかりの頃に(何かの拍子に)譲治ちゃんの研究室を訪ねていたら、全く違う人生を歩んでいたかも?」と思ったりします。今頃アメリカに住んでいたり、なんてね。

多くの方が「死ぬときに『まあ、いい人生だったな』と思えたら、きっといい人生だったという事で、それまでは何が良いのか誰にも解らないものだ。」と仰るのですが、きっとそうなんでしょうね。

でも、私は自分の子供が人生の岐路に立って迷っている時には「自分を信じて、恐れず、開かれた方に歩け。」と背中を押してやりたいと思います。人生一度しかありませんから、ね。