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最初に話すのはどの子の事?

英保歯科のお客様の中で、このブログを読んで下さっている方は私の「人となり」が見えて安心して下さるのでしょうか、個人的な話をして下さって盛り上がる事がよくあります。

今日はある方(Aさん)が「子供が軽度の自閉症なんですが、妻と同じようにとても心の優しい子で、私自身がずいぶん救われているんです。」と教えて下さいました。

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友人の歯科医師などと「ところで、お子さん達は皆さんもう随分大きくなられたでしょう?」などと、お互いの子供の話題になった時には、ほぼ全ての人が “勉強が良くできる子の事(だけ)を話す” んですね。
たいがいは「そうそう。あいつ親不孝で歯医者にはならないと言うんだよ。しかも東京の大学に行っちゃった上に、歯学部と同じ6年間だから仕送りが長くて大変なんだよ。まあ、国立だから学費については助かっているけどね。(=東大医学部か東京医科歯科大学の医学部に行っているので凄いだろ?)」といった感じです。
あれれ、もう一人の方のお子さんの話はしないのかな?

こういった子供の学校や学歴の自慢話を聞いた時にはいつも「こんな風にだけはなりたくないな。」と思うのです。

絶対そうなれる自信はありませんが、私は「勉強のできない、できの悪い子の話から最初にしてやりたい」と思うのです。例えば、自分の子供の一人が東大に行き、もう一人が犯罪を犯して少年院に入っているとしたら、「世間様に申し訳ないんだが、うちの子、本当に優しい子なんだけど、ちょっと善悪の判断を誤って悪い事しちゃって、今少年院に行っているんだ。」と言うようにしたいし、そうありたいと思うのです。東大の子の話を自らする事は無しに。

1つ目の理由は「自慢はあまり美しいものではないので、しない。」という美意識。この美意識は私の妻の姿(生き様)を見て気が付いた事で、私にとっては後天的なものであり、現在学習中、習得中です。これはなかなか大切な事だと思っています。

2つ目の理由は「どんな子でも自分の子供の一人。できの悪い子を親が愛してやらなくて、良い所を見てやらなくて、誰がする?」という事なんです。どちらかと言うと、むしろこっちかな。

勉強(=偏差値や大学の名前など“目に見えるもの”)ができても他人の気持ち(=“目に見えないもの”)がわからない人間は「失格」です。勉強ができなくても、人生でちょっとぐらい失敗があっても、他人に対する優しさ(=“目に見えないもの”を大切にできる心)がある人は「合格!」です。よね?

ちなみに、最初にお話しした方(Aさん)のお子様の勉強の成績なんですが、詳細は避けますが、聞けばドン引きする位の「超絶トップクラス」だそうですよ。

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