サイトアイコン 英保歯科

感性の量について

感性は人や動物や植物、物(もの)や色、音、空気、風、匂い、場合によっては空間や「無」(そして西洋では神も外せない)の気持ちが解る事だと思います。

一昨日、 若い人に負けない程の興味や、やる気や、情熱は持てたとしても、どうあがいても年齢と共に減って行ってしまうのは 「感性」であるというお話しをしました。

それはそうなのですが、毎日様々な世代や性別、性格の方とお話しする仕事をさせて頂いていると、若くても感性が驚くほど低いと思える人に結構な頻度で出会ったり、高齢でも感性を高いレベルで維持されている方に出会えたりして、面白いなと感じます。

感性が年齢と共に低下して行くのは避けがたいとしても、スタートラインの感性レベルが非常に高くて、低下曲線の係数が非常に小さければ何歳になってもある程度の感性を持っている事になります。

逆に、若い時から感性を磨かず錆び付かせていて、低下し放題にしていたら、30歳代で既に恐ろしい事になりそうです。

感性が低くてもお金儲けは不自由なく出来ると思いますが、たった一回しかない人生の質が低く、人生を通しての学びや気付きの量が低いままで終わってしまうと、折角この世に生まれて来たのに価値観や判断基準が「お金だけ」なって勿体無いでしょう。

私見ですが、感性の量と教養の量は相関があり、学歴や収入とは相関が無い様に思います。

「教養とは人の気持ちが解る事である」と養老孟司先生は説いておられます。

その教養を身に付ける為に、子供の頃から、程度の低くない本や文章を読んだり、語学を学んだり、宗教に対する理解を深めたり、武道やスポーツに打ち込んだりする必要があるのです。

感性の低下係数を低く保つには感性(≒教養)の高い人達と共に過ごす時間が多い方が有利だと思います。

若いうちにゲームやSNSばかりで時間を過ごしている人は良く無いと思います。

また、発揮できる感性の量は身体と心の健康状態によっても変化すると思います。(30年以上ペスカタリアンの私の経験からは、口にするものも関係すると思いますが、アブナイ人だと思われると困るのでここでは多くは述べません。)

私は、その人の持つ感性の量はその人の目を見れば大体解ると思うのですが、皆さんはどう思われますか?

さあ、かく言う私もスマホを置いて、目を閉じる事にしましょう。

モバイルバージョンを終了