私の父親が30歳代の頃、カメラが好きで白黒フイルムで写真を撮っては自宅の暗室で現像・焼き付けをして楽しんでいました。
幼少の頃にそれを見ていた影響で私も写真に興味があり、白陵中高の時には写真部に入っていました。写真部の1年上の先輩に宮嶋さんという人がいて、暗室で一緒に現像している時に「英保君、俺は日大芸術学部に行って写真で有名になるわ。もし俺が写真で有名にならんかったら笑って(バカにして)くれ。」と真顔で言っていたのをハッキリと覚えています。
世間知らずの私はそれを聞いて「進学校の白陵に来ているのに、第一志望が私立の日大?しかも芸術学部?なんで国公立を第一志望にしないのかな?」と不思議に思いました。写真家の世界では「日大芸術」は東大に匹敵する事は後から知りました。だから日大芸術が第一志望だったんですね。
この、暗室で一緒に現像していた写真部の先輩、宮嶋さんこそ、後にオウム真理教の麻原彰晃のスクープ写真をフライデーに掲載した功績で一躍有名になった「不肖宮嶋」こと宮嶋茂樹氏なのです。
軍隊式教育を売りにしていた白陵出身の宮嶋氏は自衛隊の写真を撮るのも好きで、自衛隊員であればカメラマン宮嶋茂樹の名前を知らない人はいないと思います。
人の縁って本当に不思議ですね。