宗教の弊害

安部元首相が凶弾に倒れるという痛ましい事件が起きました。犯人の動機が統一教会に対する恨みから来ているという事を聞いて、皆さんはどう思われますか?

恐らく多くの方は「よくわからない。」「新興宗教は怖い。」といった感想しか出てこないのではないでしょうか?

敗戦後GHQによってほとんどの日本人は学校で宗教教育をうけてはいけないシステムが構築され、それが見事に機能しているので、宗教について真剣に考えた事が無い(考える術を教えてもらっていない)のですから、「よくわからない」のも至極当然の事なのでしょう。余談ですが、これって、日本人が歯の価値がどんなものかを考えた事が無いのと良く似ていると思います。

私の兄が大阪歯科大学に入学した時、遠縁の親戚にあたる講師の歯科医師から、天道という台湾系の新興宗教のミサに来るように言われて出席し、それから父母もその天道のミサに出席して、18歳(まだ判断力も拒否能力も無い年齢です)の私も連れて行かれた事があります。統一教会と違ってお布施の類は一切不要だったのが不幸中の幸いだったのですが、「肉や魚を食べるのが罪である」と教えられて、多感な年齢だった兄と私はそれに従いベジタリアンになった時期があります。ミサに行ったのは数回、2-3年で、その後はその新興宗教との関係がフェードアウトして事なきを得ました。早めに縁が切れて本当に良かったと思います。

岡山で一人住んでいた私は家族もベジタリアンで頑張っていると勝手に信じて「少なくとも肉だけは食べない」という暮らしを貫いていました。(蓋を開ければ小野田さんみないなもんだったんですけどね。)
兄の食生活はその後普通に戻ったのですが、真面目な私はペスカタリアンを辞められず、気が付けば40年近くが経ってしまいました。
最近肉を食べる決心をしてチャレンジしたのですが、もはや心が肉類を受け付けない(まるで人間の肉を食べているように感じると言うと解りますかね?)という不幸な状態で、家族や周囲の人、特に妻には多大な迷惑をかけ続けています。

実家にこの新興宗教が持ち込まれずに、私が肉を食べる普通の人間だったら、友人関係や就職や出世や結婚などの選択肢がもっともっと広かったはずで、私の人生は今とかなり違っていた可能性があるのでは?と思ったりします。(多分、三田で歯医者をやっていない可能性が高いと思う)

この自分の経験からだけでも「宗教の弊害」というのは、確かにあるな、と思います。

でも、私の知人達で、親がエホバや創価学会などの新興宗教に傾倒し、その結果として想像を絶する苦労をした人達(元、子供)の話を聞き、彼・彼女達が今でも持っている(不可逆的な)心と精神のダメージを知ると、私のそれは「屁みたいなもん」だと悟りました。
彼・彼女達の話を聞けば聞く程、心の傷が深い。ある意味、宗教は「非常に罪作りな存在」だと思いました。

ですから、私の目から見ると、安部さんの犯人は見方を変えると「100%、完全な被害者」でもあるとも思えます。

私の子供達が縁あってミッションスクールにお世話になっていますので、その親としてキリスト教についても相当に勉強してきました。神を信じようと努力をして、もう15年近くになるでしょうか?欧米の人達と付き合ったり、欧米の文化のバックグラウンドを知るという点で非常に良い経験になりました。

でも、つまるところ私はDNAから日本人で、現在の私は神道に近い世界に共感を覚えています。空や風や雨や空気や海や川や滝や山や森などに神を感じるという、そんな感じですかね。

世間を見ていると、伴侶が交通事故で突然亡くなったりするような乗り越え難いつらい事があったり、結婚や進路といった正解が見いだせないような分岐点での判断を求められたりした時に宗教や新興宗教に助けを求めてしまう傾向があるように思います。救われた後に関係が終わるか、健全な関係が続けばいいのですが、安部さんの犯人の母親のように1億円以上もお布施で巻き上げあげられる程に洗脳されてしまうと、「宗教との出会い」はかえって「不幸の始まり」です。

今の世の中を反映していますね。

私は宗教ではなく自然(澄んだ風や闇夜の静けさなど)と自分自身の精神に解を求めようと思っています。困難を乗り越えたり人生の岐路の判断をしたりする時は「澄んだ空気を深呼吸して、自分自身の精神力で」。そんな強さを身につけたいと思います。

先の見えない嫌な時代で、何かに頼りたい気持ちも解りますが、皆さんも宗教にはくれぐれも気を付けて、我が子や家族を不幸にしないようにしてあげて下さい。

プチ経験者からのお願いと忠告でした。

長文失礼しました。