社会的立場がある幸せ

英保歯科のような小規模な歯科医院の経営は典型的な零細企業経営だと思います。朝は誰より早く出勤して玄関や駐車場の掃き掃除や草引きをし、夜は誰よりも長く残業して雑務を行う毎日です。朝から晩まで歯を削っては詰めて、20分のお昼休み以外はずっと診療をしています。経営者としての責任がありますので、そんな状況から逃げる術も無く毎日をやり過ごしているうちに人生が終わってしまうのだろうなと思っています。

これだけ心身を消耗しながら働いているのですが、皆さんが思っておられる以上に固定費や経費や生活費(子供が4人もいますから)が嵩むので、勤務医時代の方がはるかに贅沢な暮らしが出来ていたという始末です。

朝8時頃の三田市民病院前の信号ではこんな車がどんどん左折して病院に入って行きます。
しまった!歯医者の開業医なんかになるんじゃなかったよ。(ウソ。)

大学を卒業してから大企業に就職し、いくつかの一流企業でキャリアアップを続けながら定年を迎え、退職金を貰って悠々自適な老後を送る人生が確約されている方から見ると「貧乏くじを引いた要領の悪い奴」みたいに見えるかも知れませんね。
あるいは株や投資を上手にやって、お金に働かせて不労収益を得ている人から見ると「セカセカ肉体労働して、アホちゃう?」と思われるかも知れません。

そんな私ですが、実は結構幸せを感じながら毎日を送っているのです。それは社会的立場(社会的地位ではありません)があるからです。世の中の一部の人からでも「絶対に必要とされている唯一無二の存在」でいられる事は本当に幸せな事です。

例えば、何年も毎日毎日オフィス街で500円の弁当を製造販売している人は、毎日何人かのビジネスマンから頼りにされ、絶対に必要とされている存在でしょう。いなくなったら本当に困るはずだからね。

真面目に家庭の事をする専業主婦は子供達から絶対に必要とされている唯一無二の存在でしょう。

この自分の社会的立場が持つ意義に気が付けるかどうかは、その人の資質によると思います。損得勘定で手に入れるものより遥かに満足度が高いプライスレスなもの、それが「自分に確固たる社会的立場がある」という事なのですが、それが悟れる人は少ない。

定年退職したばかりの一流企業の元重役が、毎日毎日打ちっ放ししかできないとか、奥さんの美容院までついて来るという話を聞きますが、もし本当にそんな事なら時間とお金の余裕があっても、ちょっと気の毒な気がします。

逆に、零細企業にお勤めの方やスーパーの鮮魚コーナーで働いでおられる方のほうがずっと幸せなのかも知れませんよ。自分の社会的存在意義の大きさに気が付けばね。