「無」が見えますか?

自分のことはおこがましくてブロガーなんて呼べないですが・・・。
この Word Press というソフトを使ってブログを書いていると、同じく Word Press を使っているブロガーが「いいね」を押して下さる事があります。住所も年齢も知らない方々ですが、部活仲間が自分のプレーを「ナイス!」と軽く褒めてくれた時のような心温まる感覚になるから不思議です。

昨日、その一人で恐らく私と同じ断捨離ストである HALU さんの空き容量というブログにとても良い事が書いてありましたので紹介したいと思います。

「さまざまな感情を削ぎ落として、たったひとつ残ったそれは〝無〟です。無が〝在る〟とは、なんて心地好い。」(HALUさんのブログより引用)

私はここ数年、モノ(=物欲)だけでなくコト(=人間関係)も相当に断捨離してきました。そして自分の回りを「無」で満たすようにしてきました。

その結果、言葉遊びのようですが、「無」は何も無いという意味のはずなのに、自分の部屋の中にスッキリした空間が増えたり、関係を断って人生の静寂と時間が増えたりすると「無」がそこに「在る」事がハッキリと見て取れるようになって来たのです。

「無」はHALU さんが仰るように心地良い存在です。そして、次の何かを迎え入れる空間であり、余裕であり、余力であると思うのです。つまり「無」とは何も無いのではなく、相当なパワーとポテンシャルを持った存在なのです。

HALU さんは又、
「断捨離→近日中に節目を迎える→
断捨離→近日中に節目を迎える→
なんて単純に出来ているんでしょっ。」(HALUさんのブログより引用)

とも仰っておられます。同感です。

私の断捨離経験からこの現象を見ると、これらは自然発生では無くて、断捨離した結果そこに存在する「無」が、一つ上の段階に挑戦する強力な原動力を自分に与えてくれた結果、変化が起きているのだと思います。

難しい話でスミマセン。
要約すれば「溜めている不燃ゴミは早目に出した方が良い」という話でした。