その苦難には意味がある

歯の数が生まれつき足らない人がいます。通常は7×4で28本の永久歯が生えてくるのですが、1-2本、あるいはほとんどの永久歯が生えて来ない事があるのです。これを「先天欠如(せんてんけつじょ)」と表現するのですが、歯科健診で歯科医師が「先欠(せんけつ)かもしれんなァ」と言ったら、このような可能性があるという事です。

高校生の時に荒垣矯正歯科から治療のコラボレーションのために英保歯科に紹介された可愛い女の子がいます。矯正は荒垣先生が行い、修復治療とメインテナンスは英保歯科で行うというチームワーク治療をするのです。

この女の子は10本前後の先欠があって、しかも予防歯科の知識が無かったために何本かの貴重な永久歯の神経が取ってしまってあるという状況でした。

私が母親と本人に一から説明しました。歯の大切さ。予防の重要性。今お金と時間をかけてキッチリと治療をしておく事が一番賢明であること。等々・・・。かなりの時間をかけてお話ししましたよ。待った無しだったからね。

この子は自分のこのような経験から健康の重要性に気が付き、医療の道に進む事を決意したそうです。そして現在は看護学校の生徒として猛勉強中です。

今日彼女に「歯の重要性が本当に理解できている医科系の人は少ないよ。ほとんどの医師も看護師も気が付いていない。君は歯の重要性を身を持って理解している、稀な看護師になれるよ。今後臨床を経験する時に、病気の人の体だけでなく、お口の状態がどうかなと気を付けて見てごらん。きっと、益々歯の重要性に気が付くはずだから。」とお話しておきました。まるで看護学校の先生の講義をきくような態度で真面目に聞いてくれました。

誰でも人生に於いて、形は違えど様々な苦難が身に降りかかってきます。キリスト教では「神が与えたその苦難には意味がある」と教えます。私は、その通りだと思っています。
与えられた苦難が自らの人生を意義深いものにしてくれるとしたら、ある意味、幸い(さいわい)ですね。