夕日を見ると思い出す事


今日は夕日が奇麗でした。夕日を見るといつも思い出す事があります。(以前にもお話した事があるかもしれません。かぶっていたら御免なさい。)

40年以上昔の話です。

私の故郷、宍粟という田舎には進学校が無かったので、小学校を卒業すると同時に親元を離れて「軍隊式教育が売り」という進学校で寮生活を始めました。

今は個室にエアコン付きという恵まれた環境なのでしょうが、当時は2つの2段ベッドが置いてある12畳程の部屋がズラッと並んでいて、その部屋の中で高2から中1までの4人が暮らしていました。ストーブはありましたがクーラーも扇風機もありませんでした。
そして、運悪く「程度の低い先輩」の部屋に配置されると、下級生はまるで奴隷のような扱いで、私がまさにそれでした。
ある先輩の身の回りの世話や洗濯、買い物、マッサージ、夜食の食材の調達や調理などをさせられて、夜中の12時に消灯になった後にトイレの明かりの下でやっと自分の勉強を始めるという暮らしを強いられていました。
自宅に電話をした時には親に心配をさせないように「楽しくやっているから大丈夫だよ」と嘘を言っていたのですが、夕日を見た時だけは家に帰りたくて涙が止まらずどうしようも無かった事を鮮明に覚えています。

子供心に「何で夕日を見たらこんなに悲しくなって、こんなに涙が出るんだろう?」と不思議だった事を、今でも夕日を見る度に思い出すんです。

高校もその学校に上がって、そのまま岡山大学に入りましたので、家族と共に暮らしたのは結局小学校卒業までの12年間だけでした。
現在の私が「家族と共に過ごす時間が人生で最も大切」だと心から思うのは、子供の頃のこのような経験からなんだろうと思います。そういう意味では意味のある苦労だったと言えますね。「意味の無い苦労はない。必要があってその苦労が与えられる」のだそうですよ。

学校のブランドネームや成績よりも大切な物って沢山ありそうですね。やっぱり子供は「愛」に包まれて育つのがいいよね。

ちょっと暗い話でごめんなさい。

 

 

 

あの人は歯医者になるために生まれて来た

今朝、英保歯科の衛生士の先生方と話していると、「『英保歯科は小さな虫歯の治療以外は保険診療では無い事がほとんどだけれども、先生の腕は凄いよ』と友人に言っています。」と言って褒めてくれました。
「そうそう。私も『英保先生は歯医者になるために生まれて来たような人だよ』と言っているんです。」とも言ってくれました。
医学部や工学部などに行っていたら違った人生があったかななんて思う事や、英語を使って世界中を飛び回るような仕事がしたかったなぁ、などと思う事がしばしばありますが、三田という素晴らしい街で、常識と節度のある素晴らしいお客様にお見え頂いて、素晴らしい家族にも恵まれて、そしてスタッフからもこのように信頼されている事を考えると、確かに「歯医者になるために生まれてきたのかな」と思えます。
自分が天命に応えようと継続して努力すれば、曇り空が晴れるように「いかに自分が幸せか」に気が付く事ができるかも知れません。
若い方がブラック企業で我慢し続ける必要は皆無ですが、ちょっとした事ですぐに仕事を変わるのは「幸せ探し」という点でも振り出しに戻ってしまうかも知れません。
自分の経験からそんな事をふと思いました。