自分がこの世で生きる意味は?

養老先生のファンの方は多いと思います。私もその一人です。プレジデントオンラインの養老先生のお話がいくつか載っていますので読んでみて下さい。今日はその一つをご紹介します。

養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」

少し抜粋してご紹介する事を許して頂きましょう。

人生の意味は外部にある

これは『バカの壁』(新潮新書)でも触れたことですが、V・E・フランクルというアウシュビッツ強制収容所に収容された体験を持つ心理学者は、「意味は外部にある」という言葉を残しています。わかりやすく言えば、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」(前掲書より)ということです。

つまり、周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています。

どうですか?是非全文をお読みになってみて下さい。
養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」

ご自身のご経験と照らし合わせて共感される部分があるのではと思います。
会社にお勤めの方(被雇用者)で営業等に携わっておられる方の想いと、我々零細企業の自営業者(雇用主 兼 現場を去るという選択肢の無い労働者)との想いは、その感じ方が違うとだろうと想像します。公務員の方も同様に、かなり違うだろうと思います。

私はサラリーマンとして会社で働いた経験が無いので、この、『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」 を読んだ時に、世の中の大多数の皆さんが想われるような事が頭に浮かんで来ないと思うのです。逆もまた然りでしょう。

苦労が絶えない自営業者の私ですが、それでも私は自分が歯医者の開業医で良かったと思えています。日々の暮らしの中で自分が生きている意味があると思えるからです。お勤めの方の気持ちは、本当に申し訳ありませんが、知らずに死んでゆくと思います。