世界中が「断捨離」を体験中

4年前に思う所あって断捨離を断行し、それを継続するよう努めて良い手応えを感じています。無駄な(=必要だと思い込んでいるが、実は全く必要が無い)モノやコトを断ち切るとストレスが減って楽に生きていけます。

思い起こせば、学生時代に私のアパートに遊びにきた友人がよく「英保の所には本当にモノが無いなあ。全然生活感がないなあ。」と言っていました。どうやら私は生来、無駄なモノやコトが嫌いな人間だったようです。

それが起業という一大事の際に「これからは一般社会の価値観に合わせて行動しないとビジネスとして成り立たない(本当はそうでは無かったようなのですが)」と無意識に思い込んで自分を見失い、色々と違う方向に迷走してしまっていたようです。

今は戻りました。快適です。

静寂に包まれた大阪の街

コロナの影響で不要不急のコトがことごとく中止され、街や身の回りが毎日静寂に包まれています。
ただ、家庭待機の子供達は家でゲームばかりしている事に飽きたのでしょうか、公園で集まって元気にサッカーなどをしている姿を見かけます。昭和なら野球だったのでしょうか。

今、皆さんはコロナによって強制的に社会生活の「断捨離」を経験させられているのです。交通、宿泊、イベント、外食などのサービス業の方々は死活問題である事は重々理解しておりますし、株を保有されている方は不安で大変なのだろうと想像しますが、そういった経済面(=お金の事)を頭で考えた時ではなく、自らの心や体の声に耳を傾けた時に、皆さんはつい先日までの喧騒に満ちた世の中と、今の世の中と、どちらがストレスが少なく、どちらが幸せと感じられますか?

私は今のような世の中の方がむしろ、人間(=勘違いしている one of living creatures)の身の丈に近いのではと思うのです。

先日、コロナ産業革命という言葉を書きましたが、全てに限りがある地球の上で、我々人類の子孫が末永く存在を許されるためにはどうあるべきかを考える一つの機会にできるのではないかと思っています。

この災いが転じて人類の幸福に繋がればと祈っています。